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今日の聖書

2010.09.09 (Thu)

親として

ブログの他に、mixiもしていて、そこでこんなコメントを見た。

「私が死んでも、この人に任せておいて大丈夫」
と思ってもらえるような存在になることが
最高の愛情なのかもしれませんね〜



とても心に響いてきた。

それと同時に、子供のことを思った。

親ならば誰でも思うことだと思うけれど、
子供のことを思うと、一分でも一秒でも長生きしたいと思う。

その根底には「私がいなくなれば、子供達は・・・」っていう思いがあるから。

そう思うのは当然だと思う。
ただ、そこから踏み出した思いが上記の言葉だと思う。

「私がいなくなっても、この子達は大丈夫」って、
そう思えるように子ども達を育んでいくのが、親の役目かなって思う。

その為に、子ども達の中に、絶対に信頼できる何かを育んでおく必要があると思う。
「僕には、このことがあるから、大丈夫!」って言える何か。

それは、親の愛情の蓄積であり、
私たちの場合は、神様への揺るぎない信仰だと思う。


この言葉に出会えたことに感謝です。

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2010.09.08 (Wed)

祈り、期待しよう。

Word for Todayより抜粋


ペテロが投獄されていた時、教会は昼も夜も一日中祈っていました。
その祈りは働きを成しました。
天使がやって来てペテロを救い出し、人々が祈っていた、まさに家の戸口まで連れてきたのです。

ペテロが戸口にいると聞いて、皆は言いました。
「あなたは気が狂っているのだ。」
「それは彼の御使いだ。」

最終的に彼らはペテロに会って、「非常に驚いた。」と聖書は書いています。(使徒の働き12:13〜16)

彼らは祈っていましたが、信じてはいなかったのです。
彼らはお願いするだけにとどまり、期待していなかったのです。

問題の解決を止めている、その城壁が崩れるまで待っていてはいけません。

牢のドアが開く前、パウロとシラスはその場所を賛美でいっぱいにしていました。
その最悪の状態が、信仰の育つ土壌を作りあげるのです。

だから今、神様を賛美することを始めなさい。


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2010.09.07 (Tue)

片思いの信仰ではなくて・・・

朝、聖書のエゼキエル書を読んでいた。

主の言葉がわたしに臨んだ。(32:1 口語訳)

この箇所について、榎本牧師がこんなふうに書かれていた。



人間の側からの一方的な、言ってみれば片思いのような信仰ではなくて、
神からの言葉を聞く、神からの力をいただく、生命を与えられるということが、非常に大事なことなのである。
ひるがえって私たちは、人間がただ頑張っているような信仰ではないだろうか。

私はこう思う、というのではなく、
「神の言葉が私に臨んだ」ということは重要なことだと思う。

神がなんと言われるのか、神が何を授けてくださるのか、
どこまでも神を待ち望む信仰でありたい。
聖書をどれだけ読んだとか、献金をどれだけしたとかが信仰の一つの拠り所になったりすると、傲慢になってくる。
私の方からだけの信仰は傲慢である。
神の側からはどうか、神はなんと言われるのか、という態度こそ謙遜な信仰であると思うのである。

(『一日一章』より抜粋)




片思いの信仰に陥っていたかな?
特に「聖書をどれだけ読んだ」っていうのが、信仰の一つの拠り所になっていたのではって、その通りです、って言わざるを得ない。

聖書を読まないよりは、読んだほうがいいけれど、なんかそれだけで安心してしまうのは・・・

祈っていても、神様に聴くというよりは、自分の思い願いを一方的に訴えていたような・・・


教えられた朝のディボーションでした。



気に入っている昨日早朝の空の写真
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2010.09.06 (Mon)

9月6日・・・今日の日記

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2010.09.06 (Mon)

まず、ありのままを受けとめる

渡辺和子さんが「心のともしび」というサイトで「可能性」と題して、こんなことを書かれていました。




「非指示的」と呼ばれるカウンセリングを考え出した、カール・ロジャース博士の姿に接する機会がありました。

博士は
・一人ひとりの内部には、目に見えなくても、その人の成熟に向かって前進する力と傾向性が必ず存在するということ。
・その潜在可能性は、適切な心理的風土を与えられる時、現実性へ一歩、踏み出すことができる。
と信じた人でした。

この、適切な心理的風土とは、「許容の風土」であり、したがってカウンセラーは、相談者の言葉に耳を傾けこそすれ、「あなたは間違っています」とか、「こうしなさい」といった批判、指示をいっさいしないのです。

目には見えなくても、そして時には信じがたくても、一人ひとりの中に、その人の成熟に向かって前進する力と傾向性があることを信じることは、教育の根本と言えるでしょう。

人間の可能性を引き出すのに必要な許容の風土をかもし出し、相手をまず、ありのまま受け容れる時、その人が内に秘めている可能性が開花することを教えられた私は、幸せ者でした。





この、カール・ロジャース博士のカウンセリング理論ってどんなのかな、と少しサイトを調べていると、こんな一例にであった。


腹を立てて口をきこうとしない中学生に対して、
「どうして怒ってるの」(尋問)
「黙っていちゃだめでしょ」(否定)
「何か言いなさいよ」(指示)
などと係わらないで、「腹がたって口もききたくないみたいね」と伝えます。



これを読んで、日頃の私を反省。
もし、子供が口をきこうとしなかったら、
始めは穏やかに「どうしたの?」
その後、
「どうしたのか、教えてくれないと、お母さんは何もできないわ」
「黙ってたら分からないでしょ!」
「いつまでそうしているつもり?」
「話さないのだったら、もういい!」
「勝手にしなさい!」

っていう感じに、発展していくような気がする・・・

穏やかに、「腹がたって口もききたくないみたいね」と言える親になりたい。


今日の早朝の空

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